若い人が多く,楽しみが多いです。
これからの国,土木業界に役立つ”人財”になってほしいです。

1996年創業、2019年には代表取締役を小川から山内へとバトンタッチ、2021年に創業25周年を迎えたREECOM。小川会長(現 相談役)と山内社長に、これまでのこと、これからのこと、それぞれの思いを語りあってもらいました。

取材日2022.8.22 小川会長(現 相談役)、山内社長対談 (司会:総務部 堀之内純子、撮影:岡田裕介)

 

大学の成績と社会での活躍は違うのです!

司会 今日はREECOMのご応募を検討されている方だけでなく、REECOMに関心をお持ちの方にもREECOMを知って頂ければと思います。

会長の経歴からお話しして頂けますか。

会長 出身は香川県坂出市で、大阪育ちです。川端康成さんがOBに居る、大阪府の高校を卒業後、信州大学工学部土木工学科卒業です。

司会 どんな学生時代を?

会長 勉強はしませんでしたね。興味が土木から造園に移りました。その結果,留年を経験しました。

学生時代頑張ったのが空手道部の活動です。

全信大空手道部主将として北信越大会で優勝。全国大会にも出場しました。

主将退任後は,1年半休学して世界一周旅行を慣行し、サンフランシスコで仕事をしてお金を貯め,アメリカ,ヨーロッパを回りました。アメリカ大陸をバス横断,旧ソ連をシベリア鉄道で横断したのが思い出です。

卒業は浪人を入れて3年遅れで25歳でした。卒業した5月に結婚しました。空手を頑張ったことは「誇り」ですね。一浪、一留、一休です。

卒業後は、造園会社に造園志望で入社しました。ゴルフ場造成,造園設計を行いましたが,3年後会社が整理され退社します。

 

司会 社長の経歴もお聞かせください。福井県のご出身ですよね。

社長 そうです。嶺北と言われる地域ですね。父が建築関係の仕事をしていたこともあり、自分も「建築の仕事」につきたいと思っていました。地元の高校をでて、名古屋工業大学に入学します。

ただ大学に入学してからはあまり勉強しなくなってしまいました。名古屋工業大学は入学時、「建築と土木」でわかれておらず、2年進級時に選択する事になっています。その際、成績が良くなかったので人気のあった建築枠に入れず、土木学科になりました。勉強はあんまりでしたが、大学4年間は寮生活でしてね、そこで知り合った仲間は勉強以上のものですよ。ちなみに一浪も一留もしていません。

卒業後は、いわゆるゼネコンに入社しました。入社後、最初は、右も左もわからない状態でしたが、施工管理の経験をしました。28歳で結婚し、31歳まで、姫路、名張、神戸、大阪、島根、北九州と単身赴任もありましたが様々な場所で現場を経験しました。

司会 お二人ともあまり勉強はされなかったんですね…。

 

補強土に出会ったのは偶然、でも運命的な出会いです。

司会 会長は造園会社退社後、川鉄商事㈱に入社されます。

会長 半年ほど仕事を探して、学校の紹介で偶然入社したのが川鉄商事㈱(現JFE商事㈱)でした。29歳でした。ここでテールアルメ工法に遭遇し、技術担当として従事します。

好きで入った会社(仕事)ではなかったのですが,やっていくうちにテールアルメの業務が面白くなり,頑張っていくことを決意しました。

テールアルメ工法は前例がなく,初めての事ばかりでした。自分で考え,実行していくことはとても楽しいものでした。

 

立場が変わることにより、見える景色が大きく変わりました。

司会 平成8年3月に同社退社されて、47歳でREECOMを設立されます。REECOMを設立されたきっかけを教えてください。

会長 1983年までは補強土壁と言っても,テールアルメしかありません。

ただ,それ以降,多数アンカー工法やジオテキスタイルなど,色々な補強土壁が出現してきました。会社の上司(テールアルメ工法部のトップ)に他の補強土壁も取り扱うべきと進言しましたが,かないませんでした。

司会 なぜですか?

会長 テールアルメの業績が良かったんですね。だから、何か別の事をする必要がないと考えたのでしょう。

メーカーに居る限り,テールアルメしか取り扱うことができません。他のメーカーでも自社の製品しか取り扱うことができません。

 そこで建設コンサルタントを設立して,あらゆる補強土壁工法の設計を行うために,REECOMを 設立しました。メーカーからコンサルと立場を変えることにより,見える景色が大きく変わりました。

司会 設立時は大勢の方が力になって下さったと以前,伺いました。

会長 そうですね。昔から知っていたジオシステム創業者の坂下五男氏に色々と協力して頂きました。大変助かりました。また,テールアルメの代理店だった人々からも色々と協力して頂き,人のつながりの大切さを思い知ることになりました。

 

自由にやらせてもらえる,自由に提案できる環境があったから良かった。これも運命的な出会いでした。

司会 社長はゼネコンを退社されて、REECOMに入社されますね。経緯をお話しいただけますか。

社長 ゼネコンでは,単身赴任がこのまま続くだろうなと思いました。建設コンサルで働きたいな…と思ったのは、現場で仕事をしていて、設計図面が全然現場を考えていない図面が度々ありました。極端な時はまともな図面が1/170枚だったこともありました。そんなこともあり、退社して、就職活動をはじめました。家庭を持っていたのに次の就職先を決めずに退職したのは、少し唐突な面もあったかもしれませんね。当時の求職活動はハローワークが主流で、いつもは地元(兵庫県)のハローワークに行っていましたが、たまたまその日は大阪梅田のハローワークに行きました。REECOMの仕事内容「補強土壁」「盛土補強」もちろん、「テールアルメ」の言葉も知りませんでしたが、「切土補強土」は前職と関係がありましたので、それで検索をした時、「補強土」で引っ掛かって…。それでREECOMを知り、応募しました。会長が面接をして下さって、すぐに入社が決まりました。

 

リーコムのスタンスである技術は「狭く、深く」を追求する姿勢が自分に合っていると思いました。

司会 当時のREECOMの業務は「補強土壁」「盛土補強土」の設計でしたね。何も知らない状態から入社後、勉強されたんですよね。

社長 そうですね。生活も安定させたかったですし、ここで頑張ろうと、仕事をしながら勉強しました。リーコムのスタンスである技術は「狭く、深く」を追求する姿勢が自分に合っていると思いました。40歳の時ですが技術士試験にも合格しました。入社してからは、あまりあれこれ言われず、自由にやらせてもらっていたと思います。自由に発言できる環境もありました。前職で経験した「切土補強土」をREECOMでも扱うように提案したのは、わたしですよ。まだまだ新人でしたが。でも提案は受け入れてもらえました。

 

会長 補強土壁を扱うなら、その周りの分野も学ぶ必要があるんですね。社長が入社してしばらくした時期はちょうどREECOMも新しい分野を営業品目に入れる時期でしたから。

司会 社長当時に仕事で心がけていたことはありますか?

会長 メーカーではなく,コンサルタントであることを強く意識していました。

当時は補強土壁の設計は,メーカーに依頼するしか選択肢がありませんでした。REECOMはメーカー以外に設計依頼できる唯一の会社です。ですからあらゆる補強土壁工法の設計ができるように心がけてきました。また,「補強土では国内No.1の技術力を有する建設コンサルタント」になることを目標にしてきました。

社員教育でも「技術力向上」を常に意識してきました。

それとREECOMに縁あって入ってきた社員の皆さんが,REECOMに入社してよかったと思える会社にしていきたいと考えていました。

会社として何を目指していくか?は重要な課題として常に考えていました。

メーカーではなく建設コンサルタントであるREECOMでしか出来ない業務を受注,完成させることにやりがいを感じていました。

 

自分のファンを作ってほしい。REECOMで自分の名前をうってほしい。

司会 社長は2018年に代表取締役に就任されました。「社長」ってどうですか?想像とちがいましたか?

社長 就任の7.8年前に会長から食事に誘われて、40歳くらいの時かな、将来REECOMを担う事を考えられないか、みたいな話をして頂いたんです。その時はあまりイメージがわきませんでした。ただ、ありがたい事だと思いましたね。

その後、経営のスクールに参加したりと勉強していくうちに徐々にイメージが出来ていきました。いざ、社長になると…。想像と違いました。

司会 違いましたか?

社長 全然違いますね。責任感が想像以上、社員の生活がかかっていますからね。その家族もいるわけですし。

司会 社長として、心がけていることはありますか?

社長 社員には「自分のファンをつくれ、結果的にそれが会社の為になる、力になる」と言っています。会社とお客様(会社)の関係ではあるけれども、個人で仕事をもらえるような技術者になってほしいです。「うち(REECOM)で名前をうってほしい」と思いっています。ですから、社員に「うち(REECOM)で名前を売りたい」と思ってもらえる会社にしなければと思っています。

 

働き方の多様性を考えていた時期でした。新しい制度に踏み込みやすくなったとらえています

司会 コロナでREECOMでも在宅勤務の体制が取られました。パンデミックの影響はどう考えていますか?

会長 2019年の1月頃からコロナ感染者が出始めました。

幸い,コロナの影響でREECOMの業務が悪影響を受けるということはありませんでした。

売上がコロナにより減少することはありませんでした。

一方,コロナで在宅勤務やWeb打合せが増加してきました。私は法人、公益法人に技術講習会をしていますが、オンライン講習会の依頼が増えました。講師としては対面の方が手ごたえはあるのですが、仕方ないですね。結果的に在宅勤務やWeb打合せはコロナが収束してからも,大いに活用できると考えています。

社長 売上には影響はありませんでした。働き方の多様性を考えていた時期でした。フレックスタイム制は導入ずみですしね。在宅勤務制度は早め早めの対応で全員の在宅勤務の環境を整えました。なにもなければ、在宅勤務もWeb会議も導入はもっと先だったかもしれませんが、今回の事で踏み込みやすくなったんだと捉えています。

 

若い人が多く,楽しみが多いです。目に見える伸びしろ、その後のフォローが大切です

司会 今のREECOMをどう思われていますか?若い方が多いですよね。他社さんから羨ましがられる時もあります。

会長 私は新卒を採用し始めてから,REECOMは徐々に変わってきたと思います。

未経験の若い人が増えることにより,社内教育が充実してきたとともに,社内がやはり明るくなってきたと思います。

会社の業績も,そのころからよくなってきたと感じます。

現在は業績がとてもよくなってきています。すこし怖いぐらいです。

業績が良好な理由を常に考えるとともに,業績が悪くなった時のことを常に考えておくことが必要と思います。

社長 若い人が多く、成長も感じられ、楽しみが多いです。入社して、2年目、3年目は成長が目に見えるようです。その後に後輩指導、管理職といった業務が出てきます。その時のフォローが大切ですね。次につなげるために大切だと考えます。また、お客様から「技術に対して信頼を受ける会社」を常に目指さなければいけません。

 

経営理念にある,「国内№1の技術力」を目指せば生き残る事は可能です

司会 今後の土木業界、コンサル業界がどうなるとお考えですか?

会長 土木はインフラに関係し,国土や国民を災害から守るという大きな役割があります。

ただその費用は公共事業費としての税金から支払われます。日本の場合赤字国債のため将来的な公共事業費の確保では少々不安が残ります。

一方で,国土強靭化による業務増加も期待できますが。

土木の設計が減少しても,REECOMにしかできない業務を数多く持つことにより,将来的にもREECOMを存続させることが重要と考えています。

社長 我々の分野の仕事は増える、減るはあってもなくなることはないです。経営理念にあるように「国内№1の技術力を有する建設コンサルタント」であれば、生き残る事は可能です。会長のおっしゃる通り、土木は国土や国民を災害から守る役割があります。インフラの大切さは皆が自覚していると思います。社員には少し大げさかもしれませんが、これからの国、土木業界に役立つ”人財”になってほしいです。

 

何か今上手くいっていないな、と思う人でもチャレンジしてもらえる環境がREECOMにはあります。

司会 最後にREECOMで働く事に関心をお持ちの方にお話しを頂きたいです。

REECOMには土木学科出身でない社員も大勢いますね。

土木学科出身でない方でREECOMに応募を検討している方,迷っている方達に向けてお話し頂けますか。

社長 私自身、土木出身でない人を採用する事に最初は不安もありました。ですが、実際には一人前になって、技術者として仕事をしています。また、REECOMでは、いろんな形で教育が行われています。同じ立場の人が活躍していますので安心してほしいです。

会長 卒業してからに勉強が大切です。大学が土木科だからは関係ありません。学校の勉強と社会の活躍は相関関係がない様に思います。もちろん、勉強や前職の経験は活かすことはできますよ。

司会 それは心強いですね。特に若い方に期待する事はありますか。

会長 皆さん何か目標があると思います。その目標が達成できない、挫折する、たとえ挫折しても真摯に向き合って取り組んでいけばやりがいの様なものも、生きがいのような物も出てきます。その事を知ってほしいです。私も社長も、補強土との出会いは偶然です。働き出してやりがいを見つけてきました。結局出会いなんです。

社長 何か今上手くいっていないな、と思う人でもチャレンジしてもらえる環境がREECOMにはあります。

また,私も寡黙ではありませんが、特に話が上手いほうではありません。技術職は寡黙な仕事と思われがちですが、実はそうではなく、自分に技術がついてくれば、お客様に自信をもってお話しする事ができてきます。いつの間にか、仕事でもプライベートでもおしゃべりしている自分に気づくんです。

ありきたりかもしれませんが,物おじせず、失敗を恐れず,チャレンジしてほしいです。

 


 

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